戦後新教育の実践例~桜田小学校

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 第5章は、戦後新教育の始まり、すなわち、新たなカリキュラムを国が定め、その内容を学校や教師たちが試行錯誤しながら理解し、自分たちの実践として定着させようとした様子が描かれている。本章にたびたび登場する桜田小学校の実践[図1]は、カリキュラムに生活経験を取り込む「戦後新教育」の象徴的な事例として注目される。
 戦後の教育改革を主導した連合国軍総司令部の民間情報教育局(CIE)の中にはアメリカでも急進的な立場の研究者が含まれていたとの指摘もあるが、教育史研究では、戦後の新教育カリキュラムが学校や教師の創意工夫の余地がある自由なものであったのが、やがて学習指導要領の位置付けが強化されるに伴い、自主性を発揮できる範囲が狭められていったとの理解が一般的である。
 学校や教師たちがカリキュラムを創意工夫する動きは戦前にまでさかのぼることができ、とくに大正時代に大きな動きが起こったことから「大正新教育」とも呼ばれる。ここでは戦後新教育を考える素地として、大正期以後の新教育を振り返ることから始めてみたい。

[図1] 桜田小学校の生徒(『さくらだ』創立百周年記念誌)
写真は、風速計作成の様子。