東京と大正新教育

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 一般に「新教育」とは、子どもたちに画一的な教育内容を注入したり、暗記させたりする教育方法を批判し、子どもの個性や自発性の尊重を主張する教育を指す。この考え方に基づく教育実践は、当然ながら個性的で自発的な子どもの活動を取り込んだものとなる。
 このような「新教育」の教育実践は、成城小学校など私立学校の例がよく知られている[図2]。大正期に創立された同校では当時の最重要科目だった「修身」を小学校3年生まで廃止するなどの改革を行った。東京市内の市立小学校でも、たとえば浅草区の市立富士小学校では海外の教育情報を取り入れ、児童の個性に応じた教育を目指した実践が行われていた。本来、カリキュラムや教科書が国によって厳格に定められているはずの公立学校でも自由な教育実践が可能だったのは、当時の東京市の学事関係者が新教育に対して寛容だったことによるとされる(第2章コラム「『東京化』による新教育の時代」を参照)。

[図2] 澤柳政太郎(国立国会図書館「近代日本人の肖像」より転載)
成城学園の創設者で大正期の新教育運動の中心的存在だった。