昭和期の戦時下での「新教育」的志向

 / 444ページ
 大正期の「新教育」が目指した子どもの個性や自発性の尊重は、第2次世界大戦を中心とする戦時期にも引き継がれていく。昭和16年(1941)の国民学校令施行規則には「児童心身ノ発達ニ留意シ男女ノ特性、個性、環境等ヲ顧慮(コリョ)シテ適切ナル教育ヲ施スベシ」「児童ノ興味ヲ喚起(カンキ)シ自修ノ習慣ヲ養フニ力ムベシ」などの文言が見られる。
 本来、子どもの個性や自発性の尊重は、子どもの成長それ自体に資するように扱われるべきものである。しかしここでは子どもの個性や自発性が、総力戦体制下の国家的な目的遂行を支えるような人材養成に利用されたのである。新教育のめざした方向性が曲げられたということも可能であろう。また先の成城小学校が「修身」という科目それ自体は廃止できなかったように、そもそも新教育が天皇制を支える学校教育の「内容」には踏み込めなかった事実を踏まえれば、戦前期の新教育の限界を表しているともいえるだろう。