戦災のあとしまつ

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 終戦後、復興の第一歩として、焼跡の整理が着手された。都の事業として都心部や交通の要所などの灰燼(かいじん)を現地に埋めこむことによって整地が進められていった。区内でもこれと並行して各所で整地作業が進められた。しかし、その後家屋の新築が増加するにつれて、埋めこまれた灰燼は再び掘り起こされるようになり、町のそこここに山積みされるようになった。そこで都では、一定の場所を定め運搬し埋め立てることにした。埋め立て場所としては、旧江戸城の外濠(そとぼり)が使われた。
 『港区政ニュース』NO.25(昭和23年11月10日発行)に灰燼(焼跡残土)整理についての記事があり、これによると芝地区の残土は優先的に東十間堀川の埋立として整理される、各自は宅地内の残土を道路に出す。区の土木課でこれを埋立地に運搬する、という手順で仕事が進められたようである。