東京都告諭 第一号
告諭
来る三月十五日を以て区の整理統合を実施し、従来の三十五区は、二十二区に改めます。
なぜ今日区の整理統合をするかと申しますと、戦災によって、各区の人口その他の状態に甚しい差異が生じたため、これを今、調整しなければ、復興その他の施策実施上支障があることと、他面地方制度の改正によって、自治権が拡充せられたため、各区が自治体としての機能を十分に発揮する上に、区政が相当充実した基礎の上に立つことが必要であるからに外なりません。
この趣旨を体せられ、戦禍の跡を力強く復興し、再建日本の首都として理想的文化都市を建設し、都政の一段の暢達(ちょうたつ)を期することは、あらたに発足する二十二区を中軸とする都民各位の厳粛にして光栄ある責務と申さなければなりません。
都民各位と共に、心からこの新発足を祝うと同時に、今後とも区政並びに都政について各位の格段の御協力をお願いする次第であります。
昭和二十二年三月十日
東京都長官 安井誠一郎
(『港区史』)
戦後、区の自治権が拡大されることになったにもかかわらず、戦災によって、人口分布などが大きく変動し、人口の減少により自治体としての機能を果たすことが危ぶまれる区が出現したこと、復興のためには区を再編成する必要に迫られたことがこの告諭によってもわかる。
[図3] 芝・麻布・赤坂3区統合港区の誕生(『港区史』)
本区の場合も戦災により人口が激減した。本区の戦前、戦後の人口を比較すると、
区域 昭和10年10月1日(比率) 昭和20年11月1日(比率)
芝 19万0757人 (100) 6万7116人 (35)
麻布 8万7857人 (100) 2万0697人 (24)
赤坂 5万8700人 (100) 8791人 (15)
三区計 33万7314人 (100) 9万6604人 (25)
(『港区史』)
区統合に際して22区案、23区案、25区案等があった。最終的には22区に決定した。新設区は次のようになった。( )は統合された旧区。
千代田区(麴町区・神田区) 中央区(日本橋区・京橋区)
港区(芝区・麻布区・赤坂区) 新宿区(四谷区・牛込区・淀橋区)
文京区(小石川区・本郷区) 台東区(下谷区・浅草区)
墨田区(本所区・向島区) 江東区(深川区・城東区)
品川区(品川区・荏原区) 大田区(大森区・蒲田区)
北区(滝野川区・王子区)
のちに板橋区は板橋、練馬の2区に分かれた。これ以外の世田谷区、目黒区、渋谷区、中野区、杉並区、豊島区、荒川区、足立区、葛飾区、江戸川区の10区は従来どおりとなり、23区が成立し現在に至っている。
昭和22年4月30日、戦後初の区会議員選挙があり、40名が選出され、港区議会が成立した。なお、同年4月5日に実施された区長選挙により初代港区長として井手光治が選出された。
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 港区歴代区長
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 港区地域の人口