学級編成による組織だった学校教育が実施されたのは、区内国民学校ではほぼ昭和20年(1945)10月ごろからである。物資不足の中で戦前の軍国主義的教育の排除が占領軍の指令によってなされた。区内の各学校でも、教員の資格審査、校内奉安殿の撤去、教科書の回収や墨ぬりなどが実施されている[注釈6]。すなわち文部省は、昭和21年「新教育指針」を発表している。
御田(みた)国民学校の記録に新教育方針読み合わせ会の実施がのっているが、区内各校でも同様の研究会が持たれた。また、同年10月9日、文部省は男女共学実施の指示を出している。これについては南桜国民学校の沿革誌には男女共学実施の記録があり、区内の各学校ともこの時期から男女混合の学級編成をしたと思われる。
「教育基本法」、「学校教育法」の公布により、国民学校は以前の小学校の名称にかえって義務教育の最初の6カ年の課程をになう学校となった。
関連資料:【文書】教育行政 国家神道に対する政府の保証支援等の禁止
関連資料:【文書】教育行政 教科書その他の図書の回収