しかし、無から有を生み出すにはあまりにも性急であり、教育行政組織、施設、教職員の配置等いずれもほとんど準備する期間もないままの発足であった。このため、国民学校高等科、青年学校等の校舎を転用した学校以外は小学校に間借りをすることを余儀無くされた。また教職員もそろわず、4月開校できた学校はほとんどなかった。いずれも4月末に開校し、間借りや雑居の開校状況であった[注釈8][図8]。
[図8] 新制中学校設置の経過〔昭和22年4月開校した区立中学校〕
関連資料:【文書】中学校教育 <参考>新制中学校発足時、区内にあった都立中学校・高等女学校(昼)とその沿革
関連資料:【文書】中学校教育 <参考>新制中学校発足当時の状況
関連資料:【文書】中学校教育 公立中学校の設置
関連資料:【文書】中学校教育 校舎転用者よりの返却
関連資料:【文書】中学校教育 <参考>新制中学校発足当時から現在までの変遷
関連資料:【文書】中学校教育 発足時の愛宕中学校
関連資料:【学校教育関連施設】