身体虚弱児童に対し、昭和5年本村尋常(じんじょう)小学校、昭和6年神応(しんのう)尋常小学校に養護学級が設けられた。しかし、戦後は廃止され、港区には虚弱児を対象とした教育施設はなかった。昭和26年6月に旧赤坂区の沼津臨海学園の施設を使用して養護学園が開設された。この施設は夏季の臨海学園として利用されていたものを臨海学園が使用しない期間養護学園として利用し、後に養護学園専用の施設となったものである[注釈9]。
『区のお知らせ』(昭和37年7月22日)に当時の学園の様子がくわしく紹介されているのでそれを掲載する。
沼津養護学園は昭和二六年六月に開設されたもの。前身は旧赤坂区時代に昭和二一年から、やはりからだの弱い子を対象に開設した古い歴史のある学園です。
学園は区内の小学校三年生以上のゼンソクに悩む子、からだの弱い子、偏食のはなはだしい子など環境と立地条件のよい沼津で集団生活を通じて元気なからだにしようという目的でつくられたもの。
この学園の入園期間は、第一学期が四月一〇日から七月一〇日、第二学期が九月一五日から一二月一五日、第三学期が一月一五日から三月一五日までの三期になっており、この間毎月一回父母との面会日があります。
沼津養護学園には、漆間副園長をはじめ先生二人、養護教諭一人、寮母二人、用務員一人、作業員二人など一三人のスタッフで入園児の面倒をみています。
学園は、海岸から約二百メートルの三方を松林にかこまれた冬は暖く、夏は涼しいところで、子どもたちは、砂地の校庭をハダシで遊びまわっています。(略)
昭和50年代になって、沼津養護学園は、伊豆に移転し伊豆健康学園となる。
関連資料:【文書】特別支援教育 虚弱児童養護教育
関連資料:【文書】特別支援教育 沼津養護学園の生活 学園の一日
関連資料:【文書】特別支援教育 沼津養護学園施設概要
関連資料:【文書】特別支援教育 沼津養護学園の生活
関連資料:【学校教育関連施設】