東京都の選挙の場合、立候補者29名、投票率28・7パーセント(全国最低の投票率)であった。この結果、選挙による委員6名、議会での選挙による委員1名、7名の委員が選出され、発足した。
10月5日に実施された都教育委員選挙は、港区では棄権率75パーセントに達し、十分な理解が得られていなかったことを示している。
その後、半数改選の選挙が昭和25年10月に実施され、この時も「討論と映画の会」が企画され、児童ポスターの募集が行われた。
市町村教育委員会については、昭和27年11月1日をもって全国のすべての市町村に設置されることになった。特別区の教育委員選挙は、昭和27年10月5日、実施され、都内23区では立候補合計179名投票率35パーセント弱(全国最低)であった(『東京都教育史稿』)[注釈13]。
昭和27年10月5日の、港区教育委員会委員選挙の際には、区は『港区政ニュース』で9月25日より啓蒙活動をはじめ、9月26日には、『港区政ニュース』の号外を発行して、投票をよびかけている[注釈14]。しかし、投票率は23パーセントにとどまり、依然として関心の薄さが現われる結果に終った。
選挙の結果、直接選挙によって選出された委員が4名、議会より選出された委員1名、計5名の港区教育委員会委員が決定し、港区教育委員会は11月10日[注釈15]に初の会議を持った[注釈16]。
この港区教育委員会の発足と同時に、その事務局が設置された[注釈17]。
事務局の長には教育長があたり、従来区の教育課、文化課に勤務していた職員52名が全員、教育委員会事務局職員として11月1日委嘱された。機構は教育長・教育次長の下に庶務、学務、社会教育の3課がおかれた。今まで区の教育課、文化課で処理された事務は、これから教育委員の合議で計画され、事務局で実施されることになった。
関連資料:【文書】教育行政 教育委員会発足前の教育行政組織
関連資料:【文書】教育行政 第1回港区教育委員選挙
関連資料:【文書】教育行政 港区教育委員会の発足
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 歴代教育委員
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 歴代教育長