区市町村教育委員会の設置の頃より、教育委員会制度については、論議がおき、制度の見なおしの気運が高まっていた。教育委員会制度が地方行政の複雑化を招き、また一般地方行政との間に運営面で摩擦を起こしていた。それと同時に、地方財政を圧迫する一因となっているとのことから、教育委員任命制、区市町村教育委員会の存続問題が制度見直しの中心的問題として論議が活発化していった。
改善案は時と共に具体化して、区市町村教育委員会は存続、教育委員は任命制として国会で審議されることになった。これについては、全国市長会、全国町村長会、都特別区長会は、地方財政、教育行政の一元化という面で賛成、全国教育委員会協議会、日本教職員組合は教育の民主化、地方独自性の尊重から反対の立場をとり、特に東京都教職員組合は反対運動を展開し、反対の意志表示をした。賛否両論のうずまくなかで、昭和31年6月2日「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が成立、6月30日付で公布された。
この法律の施行により、教育委員の選任は、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命する。教育財産の取得、処分権は地方公共団体の長の権限とする、国・都道府県・市町村の縦の連絡を明確にすることが各地方公共団体に求められた[注釈18]。
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 歴代教育委員