四大指令

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 占領期間中多数の指令が次々と発せられ、日本の学校教育は連合軍最高司令部から発せられた指令に基づき活動していたと言っても過言ではない。こうした指令のうち特に重視されたのは、
 「日本の教育制度の管理についての指令」       昭和20年10月22日
 「教育関係者の資格についての指令」         昭和20年10月30日
 「国家神道についての指令」             昭和20年12月15日
 「修身科・国史科・地理科の中止についての指令」   昭和20年12月31日[注釈4]
 
 以上は四大指令と言われるものである。その内容は、1 軍国主義、極端な国家主義的思想の教育並びに軍事教育の禁止、2 教育関係の軍国主義者、極端な国家主義者の追放、旧軍人の教職従事の停止、3 神道を国家から分離し、学校での神道教育を排除、4 修身・日本歴史及び地理の授業の停止と教科書の回収を指示するものであった。この四大指令を基に数多くの指令が区長よりの通牒(つうちょう)として発せられた[注釈5]。
 まず、戦前戦時中に発刊された図書の中で軍国主義・超国家主義とみられる出版物の没収の通牒が出ている[注釈6]。10数回にわたり通牒が出され、教育局総務課へ送付するようになっていた。また映画フィルム・紙芝居・演劇脚本などの検閲もあった。
 
     連合軍司令部「フイルム」検閲ノ件
 御校ニハ赤羽校ヨリ借入レ未ダ返却シテナイ「フイルム」ハゴザイマセンカ
  アリマシタラ本日午後一時マデニ必ズオ返シ下サイ。「フイルム名」ダケデモ結講デスカラ御報告下サイ
  若シ同時刻マデニ報告ノ無イ「フイルム」ハ以後一切映写出来ナイコトニナリマス故ヨクオ捜シノ上御報告下サイマス様オ手数デモ是非オ願ヒ致シマス
   一二月二〇日
芝区映画部長 赤羽国民学校長 鈴木五録

 
 「国家神道についての指令」について青山国民学校では、「昭和二〇年一二月一九日午后神社取外シ熊野神社ヘ奉納ス」と学校日誌に記載があり、他校もおおむね同様の処置を取ったように思われる。また宮城遙拝(きゅうじょうようはい)については、筓(こうがい)国民学校の学校日誌に「本日朝礼から中止」(昭和21年9月6日)の記載があり、戦後しばらくの間続いていたことがうかがえる。
 「修身科・国史科・地理科の中止についての指令」で上記教科の授業を停止すると同時に同教科の教科書を回収して廃棄処分にすることを指令され、各学校は指定された集積場所へ回収図書を運びこんだ。
 「三光(さんこう)国民学校回収図書報告書」によると、同校の集積場所は愛宕国民学校で
 
 国民学校用図書 『ヨイコドモ』1……96冊、同2……25冊
 『初等科修身』1……45冊、同2……91冊、同3……43冊、同4……84冊
 『初等科国史』1……43冊、同2……97冊
 『初等科地理』1……50冊、同2……87冊 地図其他……68冊
 総計861冊
を運んだこととなっている。
 連合軍は指令の徹底を図るため、全職員が指令・通達をみたという捺印を必ずするよう指導を求め、指令の実施状況を調査するため、直接各学校を視察した。このため都は、「学校視察要項」を各学校に配布し、その準備をよびかけていた。昭和21年(1946)3月3日、5日の青山国民学校日誌には、司令部の教育視察があったことが記載されている。
 
関連資料:【文書】教育行政 太平洋戦争終結に伴う学校教育
関連資料:【文書】教育行政 修身・国史・地理授業の停止
関連資料:【文書】教育行政 出版物の没収