御真影・勅語謄本の取り扱い

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 戦前全国の学校に配られ、厳重な規定のもとに保管されていた御真影、勅語謄本については戦局が急迫し、学校が空襲によって焼失する恐れが出てきたため、昭和19年8月30日に区内の御真影は西多摩郡五日市、氷川、三田、吉野各国民学校奉安所に奉遷している。これら御真影を移した学校の校長は当番を割り当てられ、現地に行き宿直勤務についていた。
 勅語謄本についても後日、御真影と同様の処置がとられている。
 終戦後、御真影については宮内省に預けられ、教育勅語謄本は昭和20年8月23日、西多摩郡の4カ所の奉遷所より五日市奉遷所に一括再奉遷された。したがって戦後しばらくは各学校には、御真影、勅語などは存在しなかった。しかし11月、12月になると次のような通牒が出され、各学校にもどすことになった[注釈7]。
 
 昭和二〇年一一月二〇日
                     芝区長  高田賢治郎
 国民学校長殿
 中等学校長殿
    勅語謄本奉遷ニ関スル件
 曩ニ都下西多摩郡五日市奉遷所ニ奉護中勅語謄本ハ今般各学校ニ奉遷ヲ受クベキ旨都ヨリ通牒有之候ニ就テハ左記ニ依リ奉遷相受ケラレ度候也
         記
 期日 一二月二一日 午后二時
    芝区役所 区長室
  昭和二〇年一二月一八日
                  東京都芝区長  高田賢治郎
 各国民学校長殿
    御真影勅語謄本奉還其ノ他ノ件
 標記ノ件ニツキ左記ノ通リ区長会ニ於テ指示有之候条御了知相成度候也
         記
 一、御真影並勅語謄本ハ各学校ニ奉遷ノ予定ナリ
   勅語謄本ハ一二月二一日ニ奉遷、昭和二一年元旦ニ奉読ノコト御真影ハ紀元節ニ奉拝出来ル様奉遷ノ予定
 二、学校内ノ神社神棚ハ至急撤去スルコト
   此ノ場合児童ヲ刺戟セザル様休日等ニ行フコト
 
 うつされた御真影、勅語謄本の「奉拝」「奉読」の実施状況は明らかではない。各校学校日誌によると紀元節(きげんせつ)(昭和21年2月11日)を休業としている学校、学校から案内状を出し地域の人々と祝賀式を挙行している学校もあり、それぞれの学校の判断に基づいていたようである。
 全国的に統一された指示は、御真影については昭和21年4月5日宮内次官より出された「御写真取扱要綱」で、御真影奉拝、奉安殿や奉安庫などへの奉納が禁止された。
 教育勅語については明確な指示はなく、昭和21年10月8日「勅語及び詔書等の取扱について」(文部次官通達)では神格化こそ否定されたがその教育価値を認めるような意向さえみえる。
 勅語についてその効力を明確に否定したのは、昭和23年6月19日「教育勅語等排除に関する決議」(衆議院)「教育勅語等の失効確認に関する決議」(参議院)である。これによって文部省は勅語謄本の回収を実施した。
 
関連資料:【文書】教育行政 御真影、勅語謄本の奉還