当時の様子を『港区政ニュース』の記事からみると、開園当初(昭和23年12月)は荒れるにまかせた兵舎で8歳から19歳まで53名の子供達が7名の職員の指導のもとに生活していたようである。
昭和24年(1949)3月25日開園式が挙行され、収容所としての体裁も一応そなわり、それまでに346名、延人員にして8961名が収容されたことが園長から報告されている。
なお、高輪台小学校の沿革誌には、「東水園を本校の分校とする」と記載されており、学校教育も実施されたことがうかがえる。
昭和24年10月、台風のため建物が破壊され25年1月廃止された(『港区史』)。