港区教育研究会の誕生

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 港区教育研究会が発足したのは、昭和23年9月である。終戦直後の社会的混乱と人心の虚脱状態で、教育界もこの大きな波におし流されていたので、教育を軌道に乗せることは、なかなかの難事業であった。この当時、区内には研究団体や研究機関がなかったので23年4月区内の幼稚園、小学校、中学校の教員が自発的に研究団体結成委員会を結成し、20数回にわたる委員会、小委員会を経て、7月に規約を作成した。校舎は戦禍に荒れ、満足な机、腰掛もなく、皆手弁当で、教育者の熱意と良心が規約完成の原動力となったのである。同年9月に港区教育研究会として結成の総会が盛会のうちに開催された[注釈13]。
 「この会は教育の理論と実際を研究調査し、教育の実践面の向上をはかるとともに会員の教養を豊かにすることを目的とする」とあるように、その内容は地味であったが、港区児童生徒の教育に貢献したことはすこぶる大きかった。
 本研究会の活動の中心は、各研究部、幼稚園4部、小学校16部、中学校17部の部長を中軸にした部活動である。日々実践している教育活動での問題を研究討議して、明日の教壇に役立てるというのが本研究会の目的であった。毎年1回2月に行う研究発表会であるが、これは各学校・園から自由研究の論文を1点以上募集審査発表した。33年ころより各研究部の報告、自作教具展の3本立で行った。
 『港区政ニュース』NO.78(昭和27年2月25日)は、区立の小中学校及び幼稚園の教職員全員850名で組織している港区教育研究会は、昭和27年2月20日午後1時から、赤羽小学校において「昭和26年度総合研究発表会」を開催し、口頭発表6名、研究論文39通と記載している。
 
関連資料:【文書】教職員 港区教育研究会・研究状況
関連資料:【文書】教職員 港区教育研究会規約