初期の学校給食[図5][図6]

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 昭和21年(1946)12月11日、文部、厚生、農林3省次官連名の通達「学校給食の普及奨励について」が出され、戦後の新しい学校給食が開始された。当時、国民のほとんどが栄養不足の状態であり、発育期の学童の体位向上のためにもこの給食は画期的なものということができよう。
 連合軍司令部より給食物資の寄贈を受け、脱脂粉乳(ミルク)給食が先ず行われた。当区でも次々と施設を整備しながら開始された。
 なお、当時の記録として
 
 昭和二二年一月二〇日 学校給食を開始す。但し主食その他食料統制下のため副食物として味噌汁を給す。二月六日 米国食糧事情視察団長ハリソン大佐以下幕僚サムス大佐、ローズ女史他三〇有余人の外国人と日本側文部次官山崎匡輔氏東京都知事、宇佐美東京都教育局長、井手芝区長等四〇数名、本校の給食情況を視察された。
 
 当時の給食費は、1食分金1円で週5回実施と、竹芝小学校の沿革誌に書かれている。

[図5] 学校給食の推移


[図6] 竹芝小学校で配給物資の受け取りの様子(『学校給食30年』)

関連資料:【文書】小学校教育 <参考>学校給食実施の経過
関連資料:【文書】教職員 ララ救援物資・学校職員用衣料配給
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第6章第3節 (3)戦後の食料難と学校給食の再開