新制度の出発

99 ~ 100 / 444ページ
 六・三制によって義務教育の最初の6カ年を受け持つ小学校は、国民学校初等科から小学校と名称が変わり、外面上では男女共学による学級編成がなされた程度の変化しか見られなかった。しかし、教育内容・教育方法には大きな改革をみることになった。そして、これを「新教育」と社会一般で呼んだ。
 国民学校時代は国より画一的に与えられていた教育課程が、これからは、「学習指導要領」を基準として各学校で作成されることになった。このため指導計画の編成が教師間で関心をよび、各地で盛んに研究され、その成果が、「○○プラン」などと称して発表されるようになった。本区では桜田小学校の研究実践による「桜田プラン」が世間によく知られ、全国的な反響をよんだ[注釈6]。
 教科についても学習指導要領により、国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭、体育、自由研究とされた。これは、戦前の国民学校当時を比べると、修身、国史、地理などの教科がなくなり、新しく社会科、家庭科、自由研究が加えられたことになる。従来の教科についても、名称は変わらなくても、その内容はそれぞれに大きな変化があった。このため、授業者である教師には戸惑いと同時に、新しい学習内容についての理解を深めようとする気運がたかまり、各校で研究会がもたれた。
 教育方法についても教育課程同様、大きな改善がなされた。単元学習による授業の展開が「新教育」の特色の一つであろう。これは、学習を児童の興味関心による児童の自主性を尊重しながら展開していこうとする考えの現われである。また、自主的学習活動を助成するための校内諸設備の改善についても関心が高まってきた。