学校給食の充実[図27][図28]

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 校舎の改築などにより、給食の施設が充実し、戦後の応急処置として使用されていた施設、設備も、25年度ころより、徐々に充実が図られるようになった。また、昭和29年の「学校給食法」の制定、同33年の新学習指導要領による学校行事等の領域への位置づけが明確にされたことにより、学校生活の中でも、給食時間及びその前後の指導についても、前述したように、指導計画が研究され、各校にも十分活用されるようになった。
 本区においては、昭和31年3月より、準要保護児童に対する給食費補助が規定されていた。
 昭和37年には、学校給食の所要栄養基準量が改正された。同39年度には港区学校給食協議会が設置され、学校給食に関する研究調査をすることになった。この組織は、区教育委員会事務局、校長会、給食主任会、栄養職員、調理主事代表からなっていた。この場で各校の現状や、指導方法、献立、調理、物資の購入等多様な情報交換を行うことができた。この組織を生かして、給食費の統一、共同献立作成などの機運も高まり、共通理解を深めることになった。
 昭和40年には、牛乳の年間を通した計画供給が始まり、畜産振興事業団より補助金5円がつけられる。
 昭和43年には、小学校学習指導要領が改訂され、学校給食は、「特別活動」の「学級指導」に位置づけられることになった。

[図27] 給食風景〔竹芝小学校〕


[図28] 給食風景〔赤羽小学校〕