校外における児童の生活[図31]

130 ~ 131 / 444ページ
 町並が整備されていくにしたがい、空地もせばめられ、遊び場も少なくなっていく。しかし、野球を中心に戦前からの遊びが伝承され、少ない娯楽の中で、子どもたちが、自分で工夫しながら余暇をすごした時代が終戦直後よりしばらく続いた。
 しかし、昭和28年より始まった、テレビの放送が、子ども達の生活を大きく変えた。
 日本のテレビ受信契約数は昭和33年には100万、昭和35年には500万を突破し、短期間のうちに全国の家庭にテレビは定着した。それによって、テレビの長時間視聴による外遊びの減少、受け身の余暇のすごし方などが多くなり「テレビっ子」といわれて、問題視されるようになり、その後の塾ブームによって、子どもの戸外での遊びはますます減少するようになる。

[図31] 昭和20年から30年にかけての娯楽・アイドル(『神明小学校70周年記念誌』)

 昭和20年代、30年代のまだテレビが普及しないころの校外でのようすは、『神明小学校七十周年記念誌』にある児童の研究によってうかがうことができる。
 
  お父さんに聞いた話
 昭和三〇年代は、また空地がいっぱいあって、車も多くはなかったそうです。ビー玉やめんこ、野球、べいごま、たこあげを交代でやった。今の子どもと違って、学年がちがってもみんなで遊んだそうです。女の子はお手玉、ゴムとび。(中略)ホッピングやフラフープもはやった。