戦前は、各国民学校単位に、後援会・保護者会等があり、父母並びに地域の人々が会員となり、学校教育について、種々の後援を行っていた。昭和11年(1936)の氷川小学校の『氷川学報』第7号によると、後援会欄の事業の概要には、武道奨励・校外教授および見学・活動写真映写・半紙購入・運動会・諸給与・夏季休業中の成績表彰・水泳指導・氷川学報発行・研究補助など多方面にわたって後援している記載がみられる。学童集団疎開に際して保護者会などは、奉仕会と名称も組織も改め、物心両面の後援を行っていたことは、疎開地に残された記録により十分にうかがえる。
昭和21年の春、アメリカ教育使節団の勧告書の示唆を受けて、全国各地に、PTAが誕生した。本区においても、従来の後援会、保護者会、奉仕会等は順次解消し、新しく、PTA・「父母と教師の会」が、誕生したのである。
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第9章第2節 (1)PTA設立政策