港区新制中学校の発足

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 発足当初の新制中学校は、無からの出発であるとともに準備期間もないに等しい出発であった。このため校舎を持たない中学校がほとんどで、独立校舎を持って発足した中学校は全国でも15パーセントにすぎなかったという。それも大多数は戦災を免れた旧国民学校高等科の校舎であった。
 ほとんどの中学校は小学校、旧制中等学校等に間借りし、なかには、1校だけでは足りず2校にまたがった間借り生活を余儀なくされたところもあった。また、間借り先学校の事情により、再度間借り先を変えなければならない例もあった。港区においても、独立校舎を持ち得た学校は愛宕中学校1校のみであり、他は小学校、旧制中等学校などに併置されている。
 昭和22年創立の中学校が独立校舎に移転するまでの経過をたどってみると[注釈2]、
 
 北芝中学校 鞆絵(ともえ)小学校内に開校。昭和28年4月、桜田小学校内に分教室を設置。昭和31年1月、独立校舎に移転完了。
 芝浜中学校[図1] 神明小学校内に開校。都立芝商業学校内に仮教室を設置。昭和26年4月、竹芝小学校に仮教室を移転。同31年6月、独立校舎に移転。
 港中学校  もと愛高国民学校に都立港工業高等学校と同一校舎を分割使用。昭和25年、独立校舎に移転。
 朝日中学校 三光小学校内に開校。昭和27年6月、第1期工事による新校舎落成。12月第2期工事落成し新校舎に移転。
 城南中学校 都立第二二中学校内に開校。南山小学校内に分教室を設置。昭和24年5月、第1期工事落成。昭和25年7月、第2期工事落成。昭和26年4月、第3期工事落成し新校舎に移転。
 赤坂中学校[図2] 檜町(ひのきちょう)小学校内に都立赤坂女子商業学校と併設して開校。昭和24年7月、氷川小学校内に移転。昭和29年4月、新校舎に移転。
 青山中学校[図3] 都立第一中学校内に港区立新星中学校として開校。昭和23年4月、港区立青山中学校と校名を改め青南小学校に移転。昭和29年2月、青山小学校に分教室を設置。昭和30年1月、新校舎に移転。

[図1] 開校当時の芝浜中学校(『芝浜中学校30周年記念誌』)


[図2] 赤坂中学校の独立校舎(『赤坂中学校30周年記念誌』)


[図3] 青山中学校の独立校舎・旧陸軍大学本館を使用(青山中学校30周年記念誌『青山』第27号)

 独立校舎を得るまでに早い学校で3年、中には8、9年を経過した学校もあり、多くの学校が2校にまたがっての設置であったため、それまでの苦労があったことは容易に想像できる。しかし新築された独立校舎といっても、当初は教室、職員室、保健室等のみであり、体育館・プール等の設備はこれより後になる。
 港区の中学校で最初に体育館が設置されたのは、昭和31年度の、高松中学校、城南中学校である。昭和30年代になって、やっと完成校舎においての運営ができるようになったのである。
 
関連資料:【文書】中学校教育 都立併設中学校・新制高等学校の設置と廃止
関連資料:【文書】中学校教育 <参考>新制中学校発足当時の状況
関連資料:【文書】中学校教育 発足当時の港中学校の状況
関連資料:【文書】中学校教育 創立より独立校舎設立にいたる状況
関連資料:【文書】中学校教育 <参考>青山中学校校舎独立までの経過
関連資料:【文書】中学校教育 港南中学校の創立
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第5章第3節 (2)6・3制と学校建築
関連資料:【くらしと教育編】第11章第2節(2) 開校当時の状況