クラブ活動[図17]

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 戦後学校教育の一領域である自由研究は、その後教科外特別教育活動と名を変えたが、その一分野であるクラブ活動は早くから実施された[注釈15]。
 クラブでは文化クラブと体育クラブにわかれ、創立初期の他校での間借り生活の中でも、不自由を克服した活動が続けられたが、30年代、独立校舎を持ってからさらに活発化した。都大会に出場したクラブ、全国規模のコンクールに出場したクラブ等が出現している。

[図17] 英語クラブ アメリカ大使夫人の指導・昭和25年芝浜中学校(中島房子氏提供)

 参考例として昭和38年度、愛宕中学校のクラブ構成人員と活動費を掲げると、
   (全校生徒 670人)
 英語部 15人   6000円
 家庭部 11人   4000円
 演劇部 24人   9400円
 音楽部 48人   1700円
 技術部 13人   8000円
 美術部 8人   2000円
 図書部 20人   5700円
 数学部 10人   3000円
 放送部 35人 2万9000円
 華道部 19人   3000円
 歴史部 10人   6000円
 時事問題研究部 16人 2000円
 ワンダーフォーゲル部 80人 2万1000円
 写真部 19人   8300円
 バレー部 80人    2万円
 テニス部 30人  7000円
 バスケット部 40人 1万4000円
 卓球部 42人   5000円
 陸上競技部 13人 2200円
 体操部 22人 1万3900円
 水泳部 30人   3500円
   (クラブ活動費 19万円)
 なおこのほかに、剣道、柔道、野球、ダンスクラブなどが人気クラブとして多くの学校でとり上げられていたようである。
 多くの学校でも、体育クラブが一斉に活動できるだけの運動場はなく時間の割り当てに苦慮していた。昭和38年度、赤坂中学校を例にあげると[図18]のようである。

[図18] 体育クラブの運動場割り当て表・昭和38年度、赤坂中学校

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