都立高等学校へ進学を希望する者は多く、その選抜の必要が当初からあったが、東京都では昭和24年3月5日「東京都公立高等学校通学区域に関する規則」、「昭和23年度東京都内公立新制高等学校入学選抜実施要綱」を定め、これによって10通学区域を設定した[注釈17]。
入学希望者は自分の居住地の学区域の高等学校を選ばなければならないこと、新制高等学校は選抜のための如何なる検査も行わず、出身学校長からの報告書に基いて、入学志望者が公募定員を越える学校に限り選抜を行うこと、公立新制高等学校志望者はアチーブメントテスト(学力検査)を受けなければならない、アチーブメントテストは都の指定した検査場で、都の作成した同一の問題により、同一期日、同一時刻に公立新制高等学校入学志願者の全員に対して一斉に行うことなどが定められた。
港区は第1学区に属し、港・千代田・大田・品川区の高等学校を志望できることになった。
選抜制度は年度ごとに改訂が加えられていった。昭和23年度から25年度までは国語・社会・数学・理科の4教科であった。昭和26年度は、検査科目が国語・社会・数学・理科・音楽・図工・職業家庭・保健体育の8科目になり、昭和27年度には、選抜の銓衡(せんこう)は通学区域内の高校職員からなる合同審査委員会によって合同選抜が行われることになった。また、志望校も1校だけでなく、通学区域内の高校に志望順位をつけて提出できることになった。昭和29年度には、学力検査を第1次と第2次の2回に分け、第1次検査は全生徒に、第2次検査は高校進学希望者のみに受験させることになった。また、学力検査、採点業務も高校に移行され、昭和31年からは学力検査に英語が加えられた。
この制度は、以後大きな改革をすることなく続けられてきたが、実施当時より、旧制中学校時代の名門校には受験生が集中し、年を追うごとに競争は激しくなり、高校間の格差が問題となってきた。それに加えて、人口増による応募者の増加と地区による不均衡、進学率の上昇によって生じた高等学校教育の変化によって、選抜制度の改善が迫られた。
東京都は、昭和41年7月14日「高等学校入学選抜制度の改善と教育の正常化について」という通達を出し、今までの10学区制を改め、全日制普通科の都立高等学校については、33群の学校群制度を実施することになった。また選抜方法も、中学校長よりの調査書と学力検査(国語、数学、英語の3教科)を同等に見る方法に変えられた。この学校群制度は、群内の学校の生徒が均等になるように応募者を群内各学校に機械的に配分するもので、高校間格差を縮少しようという意図があり、これによって従来の高校間の格差はかなり縮少し、問題はあるものの存続していった。
関連資料:【文書】中学校教育 <参考>港区在住生徒の受験できる都立普通科高等学校とその入試制度の変遷