終戦直後の幼稚園

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 昭和19年(1944)4月16日、東京都次長より区長あてに出された「公私立幼稚園非常措置ニ関スル件」の通牒(つうちょう)により保育事業は休止することになった[注釈1][注釈2]。本区においても全幼稚園が休園した。これより前、昭和19年3月、青山国民学校附属幼稚園は戦災を受け閉鎖されている。また、赤坂区中之町幼稚園は昭和20年5月戦災により園舎が大破している。戦災を受けない幼稚園の中には、戦時託児所となったものもあるが、昭和20年4月にはすべて閉鎖され終戦を迎えた。
 戦後の昭和20年は荒廃がはなはだしく、幼稚園の再開はなかったが、翌21年より再開されるようになった。当時、港区内の公立幼稚園としては、西桜、麻布、南山、中之町の4園があったが、再開園は南山幼稚園・麻布幼稚園が昭和21年5月8日、西桜幼稚園が同年6月4日、中之町幼稚園が同年9月であった。
 昭和22年4月1日、公立幼稚園は国民学校とともに、都より区に移管され、本区内の4幼稚園は、いずれも港区立幼稚園として発足することになった。
 
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【くらしと教育編】第8章第1節(2) 真珠湾攻撃当日と幼稚園休園