増設の状況

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 昭和22年(1947)「教育基本法」、「学校教育法」の制定により、幼稚園は学校教育の一環として位置づけられ、幼稚園基準、設置基準、教育要領が制定され幼稚園教育が整備されるとともに、保護者の就学前教育に対する理解と熱意が高まり、幼稚園入園希望者が急増し、全国的に急速に幼稚園が設立されてきた[注釈3]。しかし、公立幼稚園の開設はきわめて少なく、そのほとんどが私立幼稚園の開設であった。
 本区でも昭和22年から29年までの間に、私立幼稚園は22園と急増したが、区立幼稚園は昭和35年までに4園(西桜、麻布、南山、中之町)、36年1園開園(桜田)計5園が昭和38年まで続く状態であった。また定員は、昭和34年10月現在(当時は4園)の資料によると、合計485名となっており[図1]、幼稚園入園児は主として私立幼稚園に入園したようである。

[図1] 昭和34年10月区立幼稚園一覧(『港区史』)

 昭和36年4月より港区立桜田幼稚園が開園された。開園当時入園者は41名。港区立幼稚園児は約500名となった。
 区立幼稚園の入園希望者は毎年非常に多く中之町幼稚園を例にとると[図2]のようになる。

[図2] 港区立中之町幼稚園入園希望者状況(『幼稚園概要』38 年・39 年版)

 応募者が多く、入園児を抽選によって決定する方式はほとんどの幼稚園が採っていたが、年度を追うごとに競争が激化し入園出来ない者の数が増大するにつれて、区立幼稚園の増設を望む声が強くなってきた[図3]。
 一方、区では昭和30年代後半より学校建築の校舎、体育館、プール建設に一応の見通しをつけることができた。また、30年代になって児童数の減少により校舎内施設にゆとりができたため区民の要望である幼稚園開設に力を注ぐことができるようになった。昭和39年、竹芝・芝浦・筓(こうがい)3幼稚園を開設したのを皮切りに、昭和44年までに15園を開設し、区立幼稚園は20園となった。この結果、昭和44年度区立幼稚園の定員は2040名となり、区内4歳児2500名、5歳児2500名計5千名のうち約2300名ぐらいが私立28園に、2040名が区立20園に入園し、区内の4、5歳児の大部分が幼稚園に入園すると推定されるまでに至った(『区のお知らせ』NO.32)。
 昭和21年より昭和44年までの区立幼稚園開設年度は、次のようになる。
 昭和21年度 中之町、西桜、麻布、南山  (4園)
 昭和36年度 桜田            (1園)
 昭和39年度 竹芝、芝浦、筓       (3園)
 昭和40年度 三光(さんこう)、青葉   (2園)
 昭和41年度 神明            (1園)
 昭和42年度 鞆絵(ともえ)、南海、東町 (3園)
 昭和43年度 芝、青南、氷川       (3園)
 昭和44年度 神応(しんのう)、港南、飯倉(いいぐら) (3園)

[図3] 区立幼稚園抽選風景(『区勢要覧』昭和40年)

関連資料:【文書】幼児教育 公立幼稚園の設置促進
関連資料:【学校教育関連施設】