昭和23年4月「児童福祉法」が施行され、働く母親のために幼児を保育する施設として、国及び地方公共団体にその設置が義務づけられるようになった。福祉行政であるが幼稚園に準ずる幼児教育の一環として意義深いことであった。
本区では昭和24年、都立白金保育園が開園されたのが最初である[注釈9]。この保育園の前身は、昭和6年開設された東京市白金三光町市民館乳幼児保育部で、戦時中には、戦時託児所にもなっていたものであるが、旧施設を改築して開園された。当初は3歳以上の幼児65名で発足し、昭和28年7月よりは1~2歳の乳児保育も始めるようになり、定員を90名とした。
昭和25年11月に都立港天幕託児所が開設された。このことについては、『港区政ニュース』NO.52(昭和25年11月10日)では次のようにお知らせをしている。
天幕託児所開設
昨今社会経済の緊迫に伴い失業者が増加し、その対策として種々の失業対策事業が進められているが、これら事業に就労する日傭労務者の中には幼児を抱えているものが多く、就労のためどうしてもその保護に欠けるところが少なくないので、今回都では児童福祉の見地からこれら放任されている幼児を収容保育する簡易天幕託児所を都内一一ケ所に設置し、その事務を区長に委任することになった。区ではこの設置に関し関係者と協議、準備をすすめた結果、主として芝園橋公共職業安定所関係の日傭労務者の幼児を対象として、麻布飯倉町五ノ五七、赤羽児童遊園内にこの簡易天幕保育所を併設し、この七日からその業務を開始した。
この託児所であずかる幼児は満二歳以上学齢未満のもので、日曜祭日を除く毎日午前七時から午后五時までの九時間を、行届いた保母さん方の注意のもとに楽しく過せるようになっている。委託料は無料で、申込は何時でもこの保育所で受付けることになっているが、大体五〇名程度であるから希望される方はなるべく早く申込まれたい。
この託児所は翌26年には都立港簡易保育所と改称になり、占領軍払い下げの建物に移り、昭和38年まで存続した。このほか、私立の青山保育園、土筆保育園、みなと保育園、浜松町保育園の4園が開設されていた。