保育園の充実

216 ~ 219 / 444ページ
 昭和26年11月初の区立保育園である麻布保育園が開園した。木造モルタル塗平家建て、保育室5、ホール1、休養室1、定員100名、始業午前8時30分、終業午後5時、引き取りの遅い園児は午後7時すぎまで預かることもあったという。
 この後も私立の保育園が開園され(昭和29年若松保育園、31年心光保育園、愛星保育園)、区内の保育園はますます充実するようになった。昭和33年12月31日現在、区内保育園は[図10]のようになる。

[図10] 港区内の保育園・昭和33年12月31日現在(『港区史』)

 都立2園、区立1園、私立5園、園児の合計数が550名弱であったが、設置場所にかたよりがあり、更に増設を望む声が強かった。
 昭和34年、青山出張所が廃止された際、建物を改装し区立簡易保育所が開設された。青山簡易保育所であった。建物の規格は旧出張所1階で増築部分を加えて30・25坪。保育室2、ホール1、屋外に砂場、ブランコ、スベリ台等が置かれた。当時の青山地区、青山簡易保育所については『新修港区史』に次のように記されている。
 
  ……三十年代はじめのこのあたりは兵舎を改造した二階建て住宅が立ち並び、道路はほとんど舗装されていなかった。青山簡易保育所は、現保育園の門前にあった区役所出張所が廃止されたので、その建物を利用して定員四〇名の施設として開所された。日雇労働で働く母親の子どもたちが多かった。土地は狭く建物は古く、冬季には隙間風が吹きこみ、屋内も保育園向きには造られていなかった。
 
 建物が古いのは区内公立保育園の共通の悩みであったようである。昭和36年、23区内都立保育園、簡易保育所はすべて区に移管されることになり、港区では都立白金保育園、港簡易保育所が区に移管された。
 昭和37年より区立保育園の建て替えが多くなってくる。区立保育園の新園舎建設は、福祉会館に併設、都営住宅に併設する方式が多く採られ、福祉会館の建設や都営住宅の建設と共に新園舎が完成する例が多い。昭和37年6月、白金保育園の新園舎が完成。白金保育園が都から区へ移管したのを機会に隣接の区立共同作業所と共に取りこわし、跡地に白金福祉会館を建設、そのなかに保育園を併設した。
 昭和37年12月、青山保育園開設、今までの青山簡易保育所が都営住宅建設のため、立ち退かなければならなくなり、区が都と交渉して、都営住宅の1階部分を保育園とした。都営住宅のなかの区立保育園は、都内ではじめての試みとして注目され、翌38年には、港南保育園が同方式を採用して都営住宅のなかに開設された。
 また同年、三田保育園が開設。昭和40年、麻布保育園の新園舎が完成。これを三田福祉会館内に併設、麻布福祉会館内に併設である。この他、昭和39年には私立心光保育園を区が引き継ぎ、新園舎を建設して、飯倉(いいぐら)保育園として開設した。このように園舎を新設し、設備を整えていく一方、簡易保育所(青山、港)は閉鎖されていった(青山―昭和37年、港―昭和38年)。
 昭和42年、南麻布保育園が開設される。この保育園では都内23区公立保育園で初の0歳児18名の保育を実施した。これと同時に区は、保母配置基準を定め、0歳児3人につき保母1名、1歳児5人につき保母1名とした。また昭和43年には同保育園に保健婦を配置し、以後、区立の10園で0歳児保育が実施された。
 昭和40年代には区内保育園が更に開設され、保育がより充実してくる。