戦後「特殊教育」の発達

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 「学校教育法」には「特殊教育」機関として養護学校、「特殊学級」の設置と就学義務が規定され、関係者の努力によって次第に改善されてきた[注釈1]。
 六・三制による新制中学校の発足と共に、中学校における精神薄弱児の教育についての問題があり、これに関して文部省から昭和28年(1953)6月には、「教育上特別な取り扱いを要する児童生徒の判別基準」が出された[注釈2]。また、同37年の「学校教育法」の一部改正によって、「特殊学級」と養護学校の対象や措置区分が明らかにされた。小、中、高等学校には特殊学級を置くことができるとされている。
 この「特殊学級」は、(1) 精神薄弱者 (2) 肢体不自由者 (3) 身体虚弱者 (4) 弱視者 (5) 難聴者 (6) その他心身に故障のある者で特殊学級において教育を行うことが適当なもの となっている。これによって、以前は就学猶予・就学免除等の措置をとる者もあったが、学校教育を受けることができるようになったわけである。
 盲学校・聾啞(ろうあ)学校は、戦前からすでに道府県に設置が義務づけられており、義務制への移行は円滑に行われたが、養護学校、「特殊学級」の設置は、その対象が広範囲にわたり、福祉とのかねあいの問題もあって、困難な道を歩みながらの設置が進められた。国の立法、施策の発展により次第に制度として確立されてきたが、昭和34年、中央教育審議会の「特殊教育の充実振興について」の答申によって、「特殊教育」の振興が軌道に乗り、昭和44年の義務制実施のため、都においては養護学校が、区においては「特殊学級」の計画的な設置が行われた。
 
関連資料:【文書】特別支援教育 港区の特殊学級の状況