各区に「特殊学級」が設置され、東京都23区の中でも昭和30年度には、特殊学級の設置されていない区は港区のみとなった。港区でもこの問題を放置していたわけでなく、昭和28、29年ごろより、港区教育研究会で共同研究が行われ、同30年には、教員1名を東京教育大学特殊教育学科に派遣する等、周到な計画と準備のもとにこの問題に取り組み、同31年9月、神明小学校に港区立「特殊学級」として、小、中各1学級(小学部14名、中学部10名、計24名)が発足した。
「特殊学級」は、当時人々に認識が薄く、神明小学校に開設されるについては、教職員はともかく、保護者にはなかなか了解が得られなかった。開設当時の神明小学校長は、10年後「開設当時の思い出」の中で次のように述べている。
開設の受け入れ
たまたま、区教委の指導室長から、神明小学校に「特殊学級」を開設するようにとの内示がありました。
私は、先生達にこのことを話し、全員の賛同に大いに力を得ました。PTA会長も熟慮の結果全面的に支持して下さいました。そしてPTA委員会に図ったのですが、何といっても当時は「特殊学級」ということばも耳新しく、その認識も十分でない時代であったので、趣旨は宜しいが、好んで本校に開設しないでもよいのではないかということでなかなか相談がまとまりません。
そこで、「特殊学級」とはどんなものかを参観しようということになり、先輩校である、目黒区の碑小学校、中央区の明石小学校、台東区の黒門小学校と次々に訪ねて、「特殊学級」の実際を見せていただき校長、担任の先生方、それに父兄の方々ともお話をして大いに認識を深めました。そしてこの間、二月三月の寒い時でしたが、何回となく会合をもって段々に理解を深めて行きました。時には教育長、指導室長もこの集りに加わって話合っていただいたこともありました。
その結果大多数の会員の方が、よくその必要性をわかって下さって私を激励されるようになり、本当に嬉しく思いました。しかし、神明小学校の将来を想うあまり、やはり本校に設置しなくてもすむならという意見もあり、そしてその決定は、PTAの総会にもち越されました。今にして思えば、もっと適切な方法があったのにと反省しています。しかしPTAの総会で大多数の拍手のうちに受け入れがきまった時はみんなホットしたことでした。
開設に当たって幾多の困難があったことがうかがわれる。神明小学校3階の3教室を改造し、入級者の募集については各学校で、父兄の啓蒙(けいもう)は講演会を、入級者の鑑別、入級決定には東京教育大学の教官を中心にして委員があたるというように、慎重に準備がなされて開設となった。
昭和31年9月に誕生した港区の「特殊学級」は33年3月には初の卒業生を出し、同年4月には、小学校部と中学校部とを分離した。
33年 神明小学校 (精薄児)2学級 25名
城南中学校 1学級開設
34年 城南中学校 1学級増25名
36年 氷川小学校 1学級開設13名
高松中学校 1学級開設12名 37年 1学級増
38年 氷川小学校 1学級増26名
高松中学校 1学級増
40年 本村小学校 1学級開設11名
城南中学校 1学級増32名
41年 本村小学校 1学級増14名
このように出おくれたものの区内の「特殊学級」の設置は急ピッチで進められていった[注釈3]。
関連資料:【文書】教職員 <参考>港区立幼・小・中学校(園)研究一覧表
関連資料:【学校教育関連施設】