また、学園は沼津市の風致地区の中にあるため、まわりの松林をできるだけ伐らないように宿舎は配置され、本館との連絡は15間の渡り廊下で接続されるような配慮がなされた。
昭和34年 園舎455坪(1501平方メートル)、校地1613坪(5323平方メートル)
昭和40年 敷地5342平方メートル、運動場3800平方メートル
普通教室4、理科室、音楽室、図書室、保健室各1、食堂(講堂を兼ねる)、調理室、浴場、シャワー室、児童室、寮4部屋、職員室、用務員室、寮母室2、作業員室2、職員住宅6
昭和42年になると、浴場が2、シャワー室2に増加している。大きな改築をすることはなかったが、漸次整備に努め、校具や教具も整えられてきた。特に昭和38年より、夏季の臨海施設に転用しないようになったため、養護学園専用の施設として急速に整備されてきた[図6][図7]。
[図6] 養護学園の出発風景(『港区政ニュース』)
[図7] 養護学園平面図