新教員養成制度

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 昭和21年8月に設置された教育刷新委員会は、昭和22年11月に教員養成制度の抜本的改革の基本を建議した。その主旨は、教員養成を今後大学教育により行うものとし、特に教員養成を主とする大学や学部のほかに、国・公・私立のいずれの大学にても出来るという方針であった。また従来の教員養成諸学校の生徒に対する学費支給制と指定就職義務制度とは廃止すること、教員資格に関しては改めて考慮する旨も提案された。
 新しい教員養成機関としては、24年5月に「国立学校設置法」によって、教員養成を主にした学芸大学、学芸学部、教育学部が設けられた。小・中学校の教員養成に必要な課程及び当該大学の一般教育を学芸学部が担当する。また、教育学部は、旧制高等師範(しはん)学校や師範学校を包括した大学に置かれた[注釈4]。
 それらの大学には小・中・高教員養成に必要な教職及び芸能、体育関係等の学科が用意された。このようにして、新しい4年制の大学卒業生が、昭和29年ごろから送り出されるに至った。義務教育年限延長の六・三制が確立されたうえ、戦後の出生率の急上昇、ベビーブームに伴う学齢児童の増加が続いた。これに従って、教職員の需要が激増したのである。
 そのために学芸大学、学芸学部、教育学部では、当初は2年課程を設置して教員の不足に対応していった。その後教員の需給関係が整ってくるに従い2年課程を逐次廃止し、昭和37年度ころには、ほとんど4年課程へと切りかわっていった。区内における教員には、新しい養成大学の卒業生が、昭和30年代に入って着任するようになった。特殊教育担当教員の養成も盛んになり、心身障害学級の誕生に当たり必要度が倍加されていった。