新制中学校発足当初の教員

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 新制中学校発足当初の様子を、朝日中学校の創立から昭和24年ころまでの教職員の年齢等の構成よりみてみよう。
 発足当初は1学年のみで、旧高等科生徒がそのまま新制中学に通学した。校長は、当時都内でも珍しい女性校長で、職員は11名であった。このうち、校長は54歳、用務員を含み40代3名、30代が4名、20代が4名の構成。途中、校長は病死する。
 昭和23年、2学年構成であった。職員数が増加する一方、疎開先からの転居によって生徒数と学級数が増加し、昭和生まれの20歳代教師が激増した。
 昭和24年、3学年構成が整う。学年増と転入による学級増のため、職員数が急増する。
 当時、教員から他の職業に転出する者がすくなからずいた。出身学校が教員養成の機能のなかった場合が多かった。昭和25年度の年齢構成をみると、20歳代14名、30歳代3名、40歳代は6名、50歳代は校長のみ、不明2名となり、圧倒的に20歳代が多いことがわかる。職員室は、活気があり、この時期、校内における部活動が盛んであったこともこの年齢構成が一因であるといえよう[注釈9]。

[図6] 教職員年齢別構成


[図7] 教職員住所別構成・昭和39年5月1日


[図8] 教職員男女別構成・昭和39年5月1日