事務職員・栄養士の採用

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 まず中学校に、事務職員が配置され、学校事務の経理関係を主として受け持ち、次第に小学校も、学級数の多い大規模校から順次配置された。まず13学級以上、昭和36年(1961)ころよりは11学級以上と多くなり、38年ごろよりは[図9]のようになった。
 中学校は、各校都費負担職員1、区費負担職員1と2名が配置された。
 幼稚園はほとんど配当がない。小学校も各校都費負担職員1名、ないし大規模校には区費負担職員1名が加えられ徐々に充足されていった。
 本区では、昭和25年度には、小学校は完全給食実施の運びとなった。中学校は、昭和40年度から42年度にかけて、12校の半数6校が完全給食を実施することができるようになり以後順次増え、47年度までに12校全部実施となった。
 栄養士の採用については昭和36年10月に1名技師補として採用になり、40年度より5名が採用され、学校へ配置された。桜川・赤羽・白金・麻布・青南の各小学校である。昭和41年度、42年度までは、技師補という職名であった。この技師補が、本区の栄養職員の草わけである。給食の献立作成、栄養指導面等について専門職としての機能を発揮している。

[図9] 事務職員配置の推移