戦時中は、警報の発令される度に、学校教職員の日直・宿直は、大変重要視され、特に校舎が緊急の被災者の避難所となりその管理も大変であった。
「昭和二六年一一月一日 学校警備員を置く、教職員の宿直廃止」ということが、筓(こうがい)小学校沿革誌に書いてある。また、竹芝小学校の沿革誌は前述のほかに、男子3名で担当すと特記してある。当初は宿直は2名、日直勤務は1名の交代制であった。予算は、日宿直制の費用の範囲内でまかなった模様で、大体6千円以内の給与であった。
昭和36年(1961)4月に区の雇傭(こよう)員制が廃止となり正規職員に任用され警備員となった。また、1校2名定員となる。初めの採用は、校長の推薦により、学校に関係の深い地域や、地元の人々の協力もあって人材を確保したといわれる。