終戦直後は、教職員の多数が戦災を受けた。住居に困り、学校内に居住している実態がみられた。さらに区内居住の教員数が減少したため教員確保の願いもあった。区では、昭和23、24年度にわたり高輪北町内(台町小学校跡地)に教職員の住居を建設し、約100世帯を収容した。
昭和25年3月10日の『港区政ニュース』には次のような記事がある。
「教職員宿舎建築」区立小中学校教職員待望の職員宿舎が現在芝高輪北町の港南荘裏手に建築中であるが、木造二階建総建坪一五〇坪、外部はラスモルタル仕上げの一八世帯を収容できる近代的様式の建物で、ガスの設備もあり、四月上旬には完成の予定、なお現在の港南荘も目下改造中で、これによって出来る室数は二六(略)
同26年7月には、旧講堂跡を教員宿舎に改造し113坪(373平方メートル)17室を完了した区立小中学校教職員で宿舎に困窮しているものに貸与されることとなった。