都立高等学校

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 新制高等学校発足直前の昭和23年3月現在では、東京都の旧制公立中等学校の半数が罹災(りさい)していた[注釈5]。東京都はできるかぎり統合整理することを避け、旧制中等学校の校舎設備の復旧に努め、新制高校へと切り変えを行った。その結果、六・三制完成年度である昭和25年度には、学校数114校(他に分校23校)となった。
 しかし、小学校に間借りしたり、中学校と旧高等小学校校舎を分割使用したりする学校が港区内でもあり、不自由な教育活動学習や生活を送った高校生も多かった。
 港区内に設置された都立高等学校は次の5校である[注釈6]。
 
 東京都立城南高等学校   (全日制)
 東京都立三田高等学校   (全日制)  (定時制)
 東京都立赤坂高等学校   (全日制)
 東京都立芝商業高等学校  (全日制)  (定時制)
 東京都立港工業高等学校  (全日制)  (定時制)
 
 全日制普通科高等学校は第1学区に属し、その生徒を千代田区、港区、品川区、大田区の居住者より受け入れることになっていた。
 昭和27年度、全日制普通科高等学校の募集人員は次のようになっている。
 
 城南高等学校  男子 一五〇名  女子 一五〇名
 三田高等学校  男子 一〇〇名  女子 二五〇名
 赤坂高等学校  男子  二五名  女子  二五名
 (『港区政ニュース』NO.77 昭和27年2月11日)
 各校の沿革をたどってみると、
 
■東京都立城南高等学校
 昭和17年東京府立第二二中学校として創立され、昭和18年東京都立城南中学校と改称、更に昭和23年東京都立城南高等学校と改称・男女共学で全日制普通課程のみをもつ都立高等学校である。
 
■東京都立三田高等学校(全日制)
 大正12年(1923)、東京府立第六高等女学校として設立。翌13年、現在地に校舎を建築、昭和25年(1950)、東京都立三田高等学校と改称、男女共学で全日制普通課程の都立高等学校である。
 (定時制) 昭和4年、私立六高女夜学校として創立。昭和11年府立認可。府立第六高女夜学となり、昭和25年、東京都立三田高等学校と改称、定時制普通課程の都立高等学校である。
 
■東京都立赤坂高等学校(全日制)
 昭和8年3月、東京市赤坂商業学校として発足し、現在の港区檜町(ひのきちょう)小学校の校舎で授業を始めた。その後校名を東京都立赤坂商業学校、更に東京都立赤坂女子商業学校と変更、昭和19年および昭和21年に他の二つの学校を統合し、昭和23年には普通科を併設、昭和25年に東京都立赤坂高等学校と校名を変更し、昭和32年に現在地に移転する。
 
■東京都立港工業高等学校(全日制・定時制)
 東京市立高輪工業学校(明治39年設立)、東京市立麻布工業学校(大正12年)、東京市立渋谷工業学校(昭和9年、当初は商業)の3校を統合して、昭和21年、東京都立高輪工業学校として発足した。昭和22年5月、現在地に移転し、昭和23年より東京都立港工業新制高等学校、昭和25年より東京都立港工業高等学校と改称。
 
■東京都立芝商業高等学校(全日制)
 関東大震災の翌年の大正13年(1924)に、大被害をこうむった当時の東京市が教育復興の第1弾として熱意と期待をもって設立した学校である。最初、京橋に設置されたが、その後、芝公園4号地を経て、昭和16年(1941)現在地に移した。
 (定時制) 全日制と同時に開校、夜間商業学校としての長い伝統を持っている。
 
 次の作文は昭和26年、芝商業高校1年の生徒が、母校の北芝中学校の学報に送った高校生活を紹介したものである。当時の芝商業高校の、特に施設、設備の様子がうかがえる。
 
    商業学校の内容
  商業 この二字が、今私の居る商業学校の教育目的なのである。そしてその商業教育に必要な設備などはもちろんそろっている。まず第一に自慢できるタイプライターが約三十台ずらりとならんでゐる所はとても壮観である。これなどは他の学校にくらべて一番数があるといわれている。次に自慢できるのは商業実践室である。この教室は普通の教室の二つ半ぐらいの広さでその教室の中で一つの社会組織を作り各自で商店、銀行、運送業を経営し実際に社会の色々な取引を行うのであるがまだ一年生はその取引の基礎を勉強しているのでやっていない。次に特別な教室と云えば簿記室がある。だがこの教室は今は使用してゐない。教室の不足のため普通の教室になってゐるのであるが近い中にまたもとにもどるそうである。図書室、ここは商業学校だけあって商業経済学方面の図書が相当ある。理科室、これは相当な設備がある。だが理科は、二年生にならないとやらない。次に昨年から女子が入って来たので近い内に割烹室が出来るそうである。その設備はアメリカ式の優秀なものだそうである。もう一つ特別な室があるそれは会議室である。ここでは生徒会あるいは外部の会議が行なわれてゐる。此れらの色々な設備器具等を使用して私達は立派な社会人商業人になろうと一生懸命勉強しているのであります。勉強といっても主に実習である。タイプライター、商業実践みな実習である。又色々な商業関係の見学もする。そうして学校を卒業してからすぐに社会の職につくものが大部分なのであるから上級生などはことさら一生懸命である。なまじっか普通科の学校に入ってむりして大学へ行くより面白く勉強の出来る商業科・工業科つまり実業科の学校に入った方が良くはないのではないかと私は思います。(『北芝学報若鮎』第4号)
 
関連資料:【文書】中学校教育 都立併設中学校・新制高等学校の設置と廃止
関連資料:【学校教育関連施設】