港区教育委員会の誕生

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 昭和27年(1952)10月5日に教育委員の選挙が行われ、5人の教育委員が選ばれ、同年11月1日に本区の教育委員会は発足した[注釈2]。
 教育委員に対応するような職としては、戦前には明治12年(1879)9月発布の「教育令」によって設置された学務委員制度による区学務委員があり、地域の教育行政を支えてきた。明治18年の「教育令」の再改正によって一時廃止されたが、同23年の「小学校令」公布によって復活し、大正、昭和を通して教育委員会制度の発足まで存続してきたのである。
 学務委員の構成は、区議会議員、区民、教員から成り、9~10名であった。また、その主な職務内容は、学校教育及び幼稚園保育の方法、学校の設置及び保護の方法、教員の勤奨督励、教育上妨害ある時の事由具申、学校幼稚園及び書籍館の開発、公立小学校教員の結約解約の申請並びに学校明細表、所有物品表、学齢表、人員、出納表の審査及び之に記名調印すること等であった。
 教育委員の第1回選挙は、16の投票所で行われた。選挙に先だって、港区選挙管理委員会は、新しい制度による教育委員選挙に対する区民の理解を促すため『港区政ニュース』(昭和27年9月26日)で呼びかけている[注釈3]。
 
   港区教育委員会委員選挙について  東京都港区選挙管理委員会
 よい人選べばよい子が育つ
  こんど区に教育委員会がおかれることになりました。区の教育委員会は五人の委員でつくられますが、その内一人は区議会議員の中から選ばれ、他の四人は区民の直接選挙によつて定められ、その選挙が十月五日に行われます。区の教育委員の任期は本来四年でありますが、今度行われる選挙では、任期四年の委員二人と任期二年の委員二人とを選ぶことになり、今後二年毎に定員の半数の二人宛選挙することになります。
  区に教育委員会が設けられましたのは、教育が公正な民意により地方の実情に即して民主的に行われるようにするためでありまして、区の教育委員会は従来主として区長のもとで行つておりました区立中、小学校、幼稚園、図書館等の教育機関の設置運営並に学校設備の整備、学校衛生、社会教育等に関する事務を掌る教育行政執行の機関であります。
  区の教育委員会には教育長以下の職員を持つ事務局が置かれ、委員会の指揮監督のもとにこれ等事務を行うことになります。かように区の教育に関する極めて重要な仕事を担当する委員会の委員には教育について深い理解と識見を持つ公正な人を選ぶことが絶対に必要であります。この選挙には裏面に記載した方々が立候補して居られますが、区民の皆さん方には棄権せず必ず投票してよい委員の方を選出して下さい。(中略)
    初めて行う
   港区教育委員会委員選挙
    一〇月五日には
   公正明朗な人を選びましよう
     港区選挙管理委員会
 
 かくして、7名の教育委員立候補者の中から、川瀬潔・吉田芳雄・奈良岡一・多久安信の4名が選出され、区議会から選出された小寺為吉を加えた5名の委員から成る港区教育委員会は、昭和27年(1952)11月1日に誕生した。なお、早速同日審議された案件は次のような事項であった[注釈4]。
 一 東京都港区教育委員会公告式規則制定(可決)
 一 東京都港区教育委員会事務局設置規則制定(可決)
 一 東京都港区教育委員会会議規則制定(可決)
 一 東京都港区教育委員会傍聴人規則制定(可決)
 一 東京都港区教育委員会事務局処務規則制定(可決)
 一 教育委員会の権限に属する支出命令権の委任に関する規則の制定(可決)
 一 東京都港区教育委員会訓令前行署名式及び伝達式について(可決)
 一 東京都港区教育委員会事務局文書専決規程制定(可決)
 一 東京都港区教育委員会公印規程制定(可決)
 一 東京都港区教育委員会事務局処務規程制定(可決)
 一 東京都港区教育委員会事務局職員の委嘱について(可決)
 以後毎月第2火曜日に定例会を開催することになった。
 港区教育委員会の発足と同時に、その事務局が設置されることになり、事務局長としての教育長に、小田助役が就任した。また、事務局には必要な職員を置くことができるが、港区の場合、これまで区の教育課と文化課勤務の職員52名が全員教育委員会事務局職員として、11月1日教育委員会から委嘱された。教育委員会事務局機構は、3課9係、2図書館をもってスタートしたのである[注釈5]。
 
関連資料:【文書】教育行政 教育委員会事務局組織(1)
関連資料:【文書】教育行政 第1回港区教育委員選挙
関連資料:【文書】教育行政 第1回港区教育委員会・臨時会の開催
関連資料:【文書】教育行政 港区教育委員会の発足
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 歴代教育委員
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 歴代教育長