事業内容と予算

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 区予算に占める教育費の割合をひろってみると、昭和24年度37パーセント、昭和30年度41パーセント、昭和36年度44パーセント、昭和42年度38パーセントとなっている。
 特に教育委員会が発足した昭和27年度の教育関係予算の状況は、区経済歳出予算総額5億5854万8855円の36パーセントに当たる2億316万1849円で、教育費の占める割合は首位となっている。これに都経済からの予算執行委任額2億7172万2487円を加えると、実に4億7488万4336円という膨大な予算額となっている[注釈10][注釈11]。
 このことからも区の行政施策の中で、教育行政に対して最も重点がおかれていたことがわかる。また、その主な執行内容をみると、六・三制義務教育整備のための用地買収、校舎の新築をはじめ、雨天体操場兼講堂の設置、「学校図書館法」による図書室の整備充実、「理科教育振興法」による理科室の整備、「青年学級振興法」による青年学級の開設等が計上されている[注釈12]。
 教育委員会発足当時の学校建築及び土地買収の様子をみてみよう。
 
 委員会発足以来の学校建設([図3]参照)及び土地買収状況
 
 危険校舎改築状況(構造・木造モルタル2階建) [図4]参照
 
   土地買収状況
 芝三田功運町二外二筆 三五六・四八坪一二〇万〇〇〇〇円 昭和二八年三月 港中学校々舎拡張のため
 芝車町五五外三筆 一四二・六一坪 一一六万三四一〇円 昭和二八年三月
 麻布北日ケ窪町四四 三〇〇・〇〇坪 八一万〇〇〇〇円 昭和二八年二月 南海、東町両小学校々地内都営住宅移転換地として
 沼津市我入道蔓陀ケ原五〇九 一・〇二〇・六四坪 六〇万〇〇〇〇円 昭和二八年六月 沼津養護学園用地拡張のため(借地権)
 赤坂檜町(ひのきちょう)三 二・四一三・九二七坪 四七一万八〇三七円 昭和二八年九月 赤坂中学校用地として

[図3] 学校建築実施状況
構造 木造モルタル塗瓦葺2 階建
高陵中、地階鉄筋コンクリート造有


[図4] 危険校舎改築状況
構造 木造モルタル2 階建

 そのほか、芝小学校・御田(みた)小学校・青山小学校の校庭舗装工事が行われている。また、それまで屎尿(しにょう)の汲取りの行われていた芝小学校・御田小学校・神応(しんのう)小学校・赤坂小学校・港中学校・高松中学校・城南中学校の水洗便所化への改修工事が昭和28年に完了し、区内小中学校の36校が全部水洗式に改造されている。
 続いて昭和30年には、青南小学校内に置かれていた青山中学校が、青山小学校内の分教室を統合して、元陸軍大学校校舎跡(現在地)を改造した新校舎に移転した。また同年、東町小学校が開校した。
 翌31年には、神明小学校内に置かれていた芝浜中学校が、現在地に校舎が落成し移転した。また同年、麻布教育会から土地・建物の寄付を受け、区立箱根ニコニコ高原学園が開園した。同園は、昭和42年に木造建物の一部を残し、鉄筋コンクリート2階建てに改築された。
 昭和34年の三田図書館の開館、翌35年度の三河台中学校の開校、青山野球場・庭球場の開設と続いた。
 なお、昭和28年度から推進されていた小・中学校の体育館の建設は、昭和35年度にその目標を達成することができた。昭和36年度からは、新たに全校にプールを設置することが目標となり、校地が狭隘(きょうあい)なために建設不可能な中学校3校(愛宕中学校・三河台中学校・高陵中学校)を残して、昭和43年にほぼ達成するに至った。
 このように小・中学校の普通教室、体育館、プールなどの建設計画がそれぞれ軌道に乗るにつれて、区民のあいだから区立幼稚園増設の要望が高まり、昭和39年度から1通学区1幼稚園、各小学校に併設を原則として増設が開始された。昭和36年開園をはじめとして昭和39年に竹芝、芝浦、筓(こうがい)の3幼稚園、同40年に三光(さんこう)、青葉の2幼稚園、同41年に神明幼稚園、同42年に鞆絵(ともえ)、南海、東町の3幼稚園が誕生した。
 このほか、この時期に港区教育行政における教育施設の充実をめざして、昭和41年に教育センター、教育相談室、小諸高原学園が開設された。
 昭和30年代後半の高度経済成長期における区行政の中で、教育費増大の推移をみてみよう[図5][注釈13]。

[図5] 教育費の推移

関連資料:【文書】教育行政 港区教育費予算及び決算(1)
関連資料:【文書】教育行政 港区教育費予算及び決算(2)
関連資料:【文書】小学校教育 芝小学校教育環境
関連資料:【図表および統計資料】教育行政 一般会計決算総額と教育費決算額の割合 (通年)(明治期)(昭和22~38年度)(昭和39年度以降)
関連資料:【学校教育関連施設】
関連資料:【学校教育関連施設】教育委員会関連施設概要一覧