戦災を受け荒廃した街も次第に環境が整備され、道路の改修が行われた。日一日と交通量が多くなり、児童・幼児の登下校の安全指導も、各学校では、集団登校(低学年から高学年までの縦割りにした地域別の班編成)や、学童擁護のみどりのおばさんの指導、PTA校外指導部の協力が続いた。昭和41年4月1日に、「交通施設等整備事業緊急措置法」が公布された事により、児童・幼児が、登園・登校する通学路を予め設定し、交通安全の実施を円滑にした。
また、昭和41年11月には、港区議会で「交通安全都市」宣言をし、ガードレール、道路標識、横断歩道橋、車道外側線等の設置を推進している。
関連資料:【学校教育関連施設】