昭和20年代における本区の社会教育を概観してみると、ナトコ映写機による巡回映画会、文化講演会、緑蔭子供会、児童図書館、青年会、婦人会活動等、主として文化活動を通じて、民主主義を定着・普及させようとする時代であったことがうかがわれる。また区民スポーツ・レクリエーション活動の振興が図られた。
経済的には苦しい時代であったが、自由の新風に憧がれ、解放感の横溢(おういつ)する中で、これらの諸活動は区民の志向と合致し、活況を呈した。
つぎつぎと新しい活動が試みられ、戦後社会教育の黎明(れいめい)期にふさわしく活気に満ちた時代であった。
ところで、行政組織との関連で、この時代における社会教育をみると昭和27年(1952)の教育委員会事務局設置を境として、大きく様変わりしている[注釈1]。昭和20年代当初においては、旧芝、麻布、赤坂区という意識が区民に強く、各支所文化係が主として事業を担当していたこともあって、支所単位に活動が行われていた[注釈2]。そのため、地域の特色は活動に反映していたが、全区的な規模にまで発展するには至らなかったものが多い。
全区的な体制が整えられ始めたのは、昭和24年以降のことで「社会教育法」の施行に伴い、同年には「社会教育法研究会」が持たれたり、翌25年には「春の社会教育週間」が設けられるなど、社会教育の体制づくりがすすめられた。
体育会や小学校PTA連合会は比較的早い時期に結成されたが、他の連絡組織は社会教育の事務が文化課から社会教育課へ引き継がれた昭和27年以降のことであった。
また、今日の社会教育事業の主要な柱である学級・講座が整備・充実されるようになったのも、それ以後のことであった。