戦後の混乱が続く中で、いち早く活動を始めたのは子ども会である。戦後の荒廃から子どもたちを守り、健全に育成したいとの願いから、戦後間もなく区内各地に次々と子ども会がつくられていった。昭和23年(1948)には、加盟数は不明であるが、麻布支所管内に子ども会連合会が結成され、合同で行事を行っている。昭和28年5月11日付の『港区政ニュース』には、青少年保護育成運動の一環として、親子運動会を麻布少年少女団体連盟が実施したとある。
また、昭和24年度の区の調べでは、芝地区に23の子ども会があった。子ども会名から推測すると、寺社、教会、青年会、町内会等が育成にあたっていたことがうかがわれる。
子ども会結成の経緯、性格、活動内容等は育成団体の性格、地域の特性によってさまざまであったが、昭和20年代に結成され、現在もなお活発な活動を展開している新橋子ども会を例にとり、その様子をみてみよう。
私たちの子ども会が結成されたのは、昭和二八年のことですが、当時の新橋界わいは風紀も悪く、浮浪児なども居て、また商売をしている家が多かったので、子どもたちが放任されていたりしたので、なんとかしなければという話が持ち上がりましてね。たまたま慶応大学の児童文化研究会とかかわりができて、桜田小学校をお借りして、子ども会ができたわけです。
最初は、校庭でのあそびが主だったのですが、遠足も年二回するようになり、一五年前からはキャンプなど、またクリスマス会も実施するようになって、最近では、駅前清掃も月一回ですが、実施するようになりました。
学校のご理解があったのは勿論ですが、学生さんたちがずっとめんどうを見てくださったり、それと長く
続けていると地元の協力も得られるようになり、現在では八町会から賛助金をいただいて運営されています。(育成会長 岡 宏子談)
子ども会は、それぞれ独自の活動を展開する一方、昭和23年から始められた「緑蔭子供会」にも積極的な担い手として参加した。なお、昭和30年の調査では、区内の子ども会は約50団体であった。