昭和26年6月25日付『港区政ニュース』は、三田地区青少年団体懇談会の開催されたことを報じているが、当日の出席団体として、三田通青年会、豊岡町青年会、松本町青年会、芝浦一丁目青年会、新青年会、松坂青年会等の名前がみられ、また三田連合青年会という連合組織があったこともわかる。そして連合行事として、野球大会をはじめ各種の行事が持たれていた。
これらの団体は、昭和28年には港区青年団体連絡協議会として結集している。また同時に港区婦人団体連絡協議会も発足しているが、その様子を7月10日付の『港区政ニュース』では[図1]のように報じている。
[図1] 昭和28年7月10日付『港区政ニュース』
青少年の健全育成、地域文化の向上等、地域社会教育活動の中心的な存在として、大きな足跡を残した青年会は、昭和30年代に入り衰退の一途をたどり始めた。昭和30年には26団体が活動していたが、青年の関心が地域から離れて、趣味・同好的なサークル活動へ移っていくにしたがい、実質的な活動を休止するところが増えていった。
青年団体は青年会から趣味・レクリエーション、奉仕活動等の多様な種類の団体へと分立していったのである。
そのような傾向の中で昭和31年に開催された港区青年祭は、これら地域青年会の力を結集した晴れの舞台であった。