■緑蔭子供会[図2]

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 ながい夏休みを楽しいものにしたいとの考えから緑蔭子供会が開始されたのは昭和23年のことである[注釈5]。当初は、区内小学校や各子ども会の自主的な活動として、子供早起会、自習会、児童文庫の開設、紙芝居や人形劇の会、映画会等を実施し、文化係は、紙芝居や幻燈機、児童巡回文庫の貸出し、映画会の開催、区職員の人形劇研究会による移動文化班の出動等によって、その活動を応援するという態勢であった。

[図2] 緑蔭子供会・芝浦小学校

 そして、そのしめくくりとして緑蔭子供芸能大会が行われた。
 昭和25年には、緑蔭子供写生大会が加わり、同26年からは、子供野球大会、水泳大会も実施され、年々緑蔭子供会は充実されていった。しかし、昭和26年からは、小学校や各子ども会の自主的な活動という色彩は次第に薄れ、区主催による緑蔭子供会へと変ぼうしていった。同年には、巡回ラジオ子供の集い、巡回映画会、巡回幻燈会、巡回子供文庫が実施された。
 このように区主催の緑蔭子供会は年々多彩な催しとなっていったが、ちなみに昭和27年9月10日付の『港区政ニュース』は同年の実績を[図3]のように報じている。
 また、この年から、緑蔭巡回子供会が開始され、都立高等保母学院の生徒によって、区内の神社・寺院の境内や遊園・公園を巡回して、ゲームや歌の指導、人形芝居等が行われた[注釈6]。
 夏休みの子どもたちの楽しみである緑蔭子供会であったが、やがて、余暇活動に対する子どもたちの意識の変化や都市環境の変化に伴い、昭和30年代の後半には衰退しはじめ、内容を工夫するなどの試みはなされたものの、参加者の減少、指導者の不足、会場難などにより、昭和48年度をもってその幕を閉じることとなった。

[図3] 緑蔭子供会の活動実績(昭和27年9月10日付『港区政ニュース』)