■成人学校[図6]

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 社会人として必要な知識・技術を習得することを目的とした成人教育の事業は、昭和22年に南山、青山、氷川の各小学校において社会学校の名称で開設されたのが始まりである[注釈9]。期間は3カ月(毎週2回)で、科目は洋裁、演劇、名曲鑑賞であった。
 成人学校の名称で実施されるようになったのは昭和25年10月のことである。桜川小学校で実施されたが、都教育庁、港区、千代田区、中央区、新宿区の共催ということでもあって、定員の数倍という希望者があったという。科目は英語、洋裁、経済、音楽、育児であった。

[図6] 成人学校(『港区の社会教育』)

 成人学校が港区主催となったのは翌26年からである。区民の要望が強く、昭和28年から3会場に増設し、南海、南山、檜町(ひのきちょう)の各小学校に会場を移した。
 以後、小中学校、図書館、福祉会館等を巡回したが、青山社会教育会館の建設された昭和51年度から、同館と青年館で実施されるところとなった。
 昭和25年度から同59年度までの学習科目は[図7]のとおりである。
 このような科目の選定にあたって、受講者の希望を調査しているが、昭和28年の調査では、時局問題、法律、文学等の教養科目を希望する者が多かった。ところがいざ実施してみると、意外に参加者が少なく、実益的な科目にのみ希望者が集まる結果となり、はからずも希望内容と実際の受講者は必ずしも一致しないという社会教育事業調査のむずかしさを実証する形となった。

[図7] 成人学校で実施した科目一覧・昭和25年度~59年度

 成人学校の受講者数の累計は明らかではないが、例えば昭和28年度では修了者436名を数え、昭和43年度は527名であった。
 受講者は、例えば昭和31年度の調査では、男性と女性の比率は3対5であり、職業別では会社員、公務員が53パーセントを占め、次が家庭の主婦23パーセント、また年齢別では20歳代が53パーセント、30歳代が22パーセント、10代が13パーセントであった。このことから、成人学校が比較的若い層に支持されていたことがわかる。また、男性の参加が多いのは夜間開設ということもあろうが、今日のように学習の機会が多い時代とは異なり、数少ない成人教育の場であったからでもあろう。
 本区の成人学校は、成人教育の柱として昭和30年から40年代にかけて、盛況を極めたが(昭和43年度19科目)、他の学級・講座の整備がすすむにしたがい、受講者は50年代に入ると漸減しはじめ、それにつれて、科目数も減り、昭和59年度は2科目が実施された。そして同60年度からは婦人大学の一環となり、成人学校という名称は消えることとなった。