社会体育の様子 港区体育会の発足

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 後々港区体育協会となる港区体育会が発足したのは、昭和23年4月のことであった[注釈11]。その趣旨を『港区政ニュース』は次のように報じている。
 
  終戦後、澎湃として起った文化運動の推進体として、体育運動の活発なる展開を随所に見ることは、生活の明朗化、生産増強、体位向上等に影響する所頻る大きく、文化国家再建のためにも真に喜ばしき限りである。
  我が港区においても過般来、芝、麻布、赤坂の体育連盟の結成を見たのであるが、大港区の性格と形態を考慮する時、是非とも、これを一本にまとめ上げて、横の線の連繫を密にする必要があるので、この趣旨に基づいて、三体育連盟関係者、並びに区内スポーツ愛好者の熱意と努力の賜により、着々と、その軌道に乗りつつあったのであるが、此の間幾多の迂余曲折を経て、万端の準備成って、去る四月一日、港区体育会は華々しく斯界にデビューした。
 
 ちなみに当初の加盟団体は、軟式野球、硬式野球、庭球、卓球、陸上競技、排球、水泳、相撲、籠球、体操、弓道、剣道、バドミントン、小学校体育連盟、中学校体育連盟等の競技団体とフォークダンスなどのレクリエーション関係団体であった。
 
■都民体育大会の優勝
 憲法記念都民体育大会が実施されるようになったのは昭和22年のことである[注釈12]。この大会は区市町村対抗という形で行われるものであるが、本区はその第2回大会において、男女共に優勝し、高松宮杯、同宮妃杯の栄冠に輝いた
 第3回大会は3位にとどまったが、昭和31年の第10回大会では男子総合優勝という歴史を持っている。
 その中核としての役割を果たしてきた体育会に対して、第5回国民体育大会(昭和25年)において、体育の優良団体として文部大臣から、また、昭和29年には、財団法人レクリエーション協会総裁から、レクリエーション活動を模範的に実施した優良団体として、それぞれ表彰を受けた。
 このことからもわかるように、区内における体育・レクリエーション活動は、きわめて活発であった。各競技団体は都の大会において優勝経験を持つものが多く、また、定期的に区民大会を実施するなど、区民の健康維持・増進、体力向上の面で多大の貢献をしている。中でも特筆すべきは、新興スポーツとして、今日愛好者が飛躍的に増加しているバドミントンの大会を昭和23年に実施していることである。同年2月15日に、桜田小学校講堂において実施された大会には、ものめずらしさも手伝って多数の参加があったと聞く。都内23区においては初めての試みであった。
 
■スクエアダンス講習会
 レクリエーション活動の一環として、文化課体育係ではしばしばスクエアダンスの会を開催した。いつから開催したかは明らかではないが、昭和24年度には、桜川小学校を会場として5回の講習会(各回とも2日間)が実施されており、同年12月には、スクエアダンス大会も開催されている。
 講習会の様子は、『港区政ニュース』(昭和25年10月25日付)によると毎回140名を超える参加者があり、老若男女が楽しく、ジングルベルやレディリードなどの曲に乗って踊ったとある。その時の参加者から8名が同年11月3日の都コンクールにも出場したという。