社会体育施設

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 戦前における体育施設は、学校の校庭・講堂が主なものであり、社会体育施設には見るべきものがなかった。戦後、区民の社会体育に対する関心の高まりにつれて、施設建設の必要性が強まったが、昭和20年代は、学校の校舎建設等のため、財政的に応じきれない状況にあり、社会体育活動には主として小中学校の施設が利用された[注釈13]。
 
■赤坂グランド[図8]
 昭和23年11月、赤坂野球場がつくられた。そのかげには、地元赤坂地区住民による「赤坂総合運動場建設協力会」の積極的なはたらきかけと協力があった。
 当時、耕作地として利用されていた都有地を野球場にという強い要望が赤坂体育連盟野球部を中心に起こり、建設へ向けての住民運動へと発展していった。区財政の逼迫(ひっぱく)、耕作権者の反対等の悪条件の中での運動であったが、地域住民の資金援助、労力奉仕もあり建設に至った。
 球場が建設されたことにより、飛躍的に野球熱が高まり、大人ばかりでなく、少年野球の普及にも大きな影響を与え、今日の少年野球大会のいしずえとなった。昭和25年、球場施設が区に移管され、同27年バレーボールコート(テニスコート兼用)附設などの経過をたどりながら昭和29年まで供用された。当時の所在地、赤坂青山南町1―55(現南青山2丁目33番)、面積8563・5平方メートル。
 その後、昭和32年3月、別の都有地に青山運動場を完成させ、昭和35年10月、区有地となった。現在の所在地、南青山2―21―12、面積5762平方メートル。

[図8] 赤坂グランド(『赤坂体育連盟野球部創立30周年記念誌』)

■麻布盛岡町グランド
 現在の麻布運動場である。昭和25年、地元の人々の協力のもとに都有地に野球場として開設された。
 当初は約1600坪(約5300平方メートル)であったが昭和31年には庭球場の併設、設備の変更、整備を順次行ってきた。
 なお、昭和50年4月移管され区有地となった。
 所在地、南麻布5―6―33、面積9059平方メートル
 
関連資料:【学校教育関連施設】