図書館

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 戦後、社会教育の重要性が顧みられるにつれて、図書館は重要な社会教育の場としてクローズアップされるところとなってきた。「社会教育法」に基づいて、昭和25年4月、「図書館法」が公布され、従来の都立図書館は同年10月以降、区立図書館として、装いも新たに再出発することとなったのである[注釈14]。
 本区では同年11月、「東京都港区立図書館設置条例」を定めたが、同27年11月、港区教育委員会の発足と同時に区立図書館は同委員会の所管となった。
 
■麻布図書館[図9]
 この図書館は明治44年(1911)、東京市立麻布簡易図書館として、南山小学校の一角に設置されたのが始まりである。簡易図書館とは、「通俗の図書を蒐集し、公衆の閲覧に供する」ことを目的として、市内16カ所に設けられたものであるが、一般市民の知識、教養を高めるための、いわゆる通俗教育の一環としての役割りを果たした。また、いずれの図書館も小学校に併設される形をとったため、学校開放の先駆けとなった。
 本図書館は、大正2年(1913)、市立麻布図書館と改称、昭和2年(1927)、麻布高等小学校内へ移転、同6年、南山小学校内に独立館舎建設(約216平方メートル、コンクリート平屋建)、同18年、都立麻布図書館と改称するなどの変遷を経て、同22年に都から区へ管理移管、同25年区立図書館となった。
 建物はこじんまりとしていたが、閲覧者は書庫に自由に入ることができ、好きな本を選べる公開式であったので、利用者の絶えることのない、開放的な図書館であった。都からの移管当時、蔵書数は約9400冊で、文学・語学関係が最も多かった。昭和48年、現在地(六本木5―12―24)へ移転したが、その時点での蔵書は約2万6千冊にのぼっていた。
 移転後しばらくは新図書館の倉庫として利用された。

[図9] 麻布図書館

■氷川図書館[図10]
 この図書館は、明治45年(1912)、東京市立赤坂簡易図書館として、氷川小学校内に開設されたもので、麻布図書館とほぼ同じような歴史をたどっている。
 火災により、昭和5年(1930)、氷川小学校が改築されたのを機に、同校庭の北隅に半地下式約203平方メートルの建物となった。同20年3月以降閉館されていたが、同27年3月から区立図書館として再開された。蔵書数は約2500冊、その大多数は都立日比谷図書館から分譲されたものであった。当初の蔵書数は少なかったが、歌書、歌論、宗教、哲学、歴史等の書籍が多く、研究者によろこばれたという。
 その後、蔵書も順次ふえ、多方面にわたり充実されていった。麻布図書館と同じ閲覧方式をとったこともあり、身近な図書館として親しまれた。建物の老朽化に伴い、昭和38年8月閉館され、赤坂図書館と改称し現在地に移転した。

[図10] 氷川図書館

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