サンフランシスコ講和会議における対日平和条約調印(昭和26年)を経て、戦後日本もようやく占領期から独立国としての歩みを始めた。朝鮮戦争の勃発(ぼっぱつ)(昭和25年)を契機に低迷を続けたわが国の経済も復興の兆候をみせ、昭和30年代に入ると高度経済成長の途上につく。それとともに、戦後の社会教育は新たな展開をみせはじめることとなった。
昭和34年(1959)4月、「社会教育法」の一部改正が行われた。主要な改正事項は、社会教育主事の必置、社会教育関係団体に対する補助金の支出禁止規定の削除、公民館の設置・運営に関する規準の設定、社会教育委員の職務追加(青少年に対する助言・指導)、社会教育施設に関する国庫補助規定などである。
このような法改正によって、地方自治体の社会教育事業は格段と整備がすすむことになった。特に事業や施設建設に対する国庫補助金の支出は各自治体の社会教育行政に大きな刺激を与え、事業の拡大充実が積極的にすすめられるところとなったのである[注釈15]。
本区においては、婦人学級の開設、青年学級の充実等が図られるとともに、青年館、赤坂図書館、三田図書館、各種体育施設等の建設がすすめられた。