市民スポーツ振興の推進役として、全国に体育指導委員の制度が設けられたのは昭和32年のことである。
これは、スポーツの大衆化の進行に伴い、地域における推進者を求める声の高まりの中で、文部次官通達「地方スポーツの振興について」に基づいて設置されることとなったのである。
東京都においては、同年、450名が都から委嘱されたが、そのうち、本区関係は11名であった。
昭和36年、「スポーツ振興法」が議員立法によって制定された。
この法律は、スポーツの振興に関する施策の基本を明らかにすることであったが、3年後に控えた東京オリンピックを視野に入れたものであり、国家的行事をなんとしてでも成功させようという気概の現れでもあった。
この法律によって体育指導委員は区市町村に必置となり、本区においては都から移管される形の中で、11名を任命した。その後漸次増員をはかり、昭和60年現在30名を定員としている。
国民の生活水準の向上、労働条件の改善などにより、余暇活動の一環として、スポーツは広く国民の中に普及していったが、スポーツが生活の一部となった現在に至るまで、スポーツ・レクリエーション活動の振興に果たした体育指導委員の功績は大きい。