昭和22年、文部省は『父母と先生の会―教育民主化のために』というパンフレットを作り、全国の各学校に通達した。その背景には、GHQのCIE(民間情報教育局)からの強力な指導があったのであるが、本区においては、同23年、従来の学校後援会からPTAに名称を改め始め、24年にはほとんどの学校にPTAが結成されるに至った。
しかし、PTAの性格について、十分な認識を持たないまま、改組するところが多かったため、後援的性格はなかなか払拭(ふっしょく)されず、PTAの本来的活動はなにかをめぐってのちのちまで問題となった。当時、学校再建が急務となっている中で、財政的援助を後援会にたよらざるを得ないという事情があって、PTAと名称は変わっても、学校の後援団体であるという意識が抜けずにいたのである。
しかしその一方で、PTAが結成された以後、教育について教師と父母が考え合う場である、父母の成人教育の場であるという認識も次第に定着していった。
その傾向に更に拍車をかけることになったのは、PTAの公費負担軽減措置である。昭和35年4月に「地方財政法」の改正が行われ、PTAの公費負担に法的な規制が加えられたことにより、それ以後、PTAから後援会的色彩は薄くなっていったのである。そして、それとともにPTAの性格、活動内容について、改めて見つめ直す機運がPTA内部から高まっていったが、その先導的役割を果たしたのは、小・中学校のPTA連合会であった。
本区においてPTA連合会が結成されたのは昭和25年の小学校PTA連合会が初めてである。
■PTA研修会の開催
PTA会員を対象に研修会が実施されたのは昭和35年のことで「PTA幹部研修会」と称した。以後、年々研修会は充実していったが、その経過をたどると次のとおりである。
昭和36年度は区内を5地区に分けて研修会を開催したが、同37年から区内を12の中学校単位に分けて実施し、同43年度からはPTA全体の問題を中心としての「全体研修会」、成人教育、広報活動などの「専門研修会」とブロック(5ブロック)ごとの問題点を話し合う「ブロック別研修会」へと発展した。そして昭和45年度から、幼稚園PTAの研修と小・中PTAの「宿泊研修会」が実施される反面、ブロック研修は廃止された。
関連資料:【くらしと教育編】第9章 PTAの目的
関連資料:【くらしと教育編】第9章第2節 (1)PTA設立政策