道路整備による街の変貌

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 昭和40年代以降の街の発展にとって大きな要因となったものに道路の整備がある。それは、経済の高度成長にともなう自動車の急激な増加に対する交通難の解決が、昭和39年(1964)の第18回オリンピック競技大会(東京オリンピック)のための道路政策と結びついたものであった。
[図1]は港区に登録された自動車の台数の増加の状況を示したものである。

[図1]港区の自動車台数増加の状況(『新修港区史』)

 この表でも明らかなように、昭和40年代に入ると自動車の台数は急増している。この傾向は東京都全体からみた場合も同様で、自動車台数は昭和34年の24万台から昭和40年は100万台にと急増し、道路の整備は特に急務とされた。
 政府は昭和36年、道路整備5カ年計画をうちだし、東京都もこれをうけて、10カ年計画をたてた。これは、オリンピックを主眼においた当面する道路交通需要に対処しようとしたのである。昭和38年の都総事業費475億円のうち実に80パーセントにあたる380億円がオリンピック関連街路築造整備に投入されている。港区でも路面補修が急がれ、昭和38年からは街路灯整備5カ年計画を実施している。
 港区の予算における土木関連費を見てもこの間の事情が理解できる。昭和37年度には、2億6600万円だったが、38年度には、一挙に4億円の計上をみるにいたっている。